その三・当たるもこだわり、当たらぬもこだわり

前編


「南国!? 冗談じゃありません! 寒さから逃げるなんて馬鹿馬鹿しい。夏にやる避暑なんか愚の極みですっ! 冬だからこそ寒さを楽しみましょう! もっともっと寒いところに行くんです!
 そうだ冬山がいい! スキーをやりましょう! この季節を逃さない手はありません! 太陽光の反射が眩しい純白の雪に描かれるシュプールはまさに(以下略)」
 秋半ばに催された『こだわり道倶楽部』、略して『KWC』の冬合宿会議において二回生部員の坂本俊介が仰々しい身ぶりを加えて熱弁した内容である。
 しかしそれは部長の武松を納得させ、その彼の決定において、KWCの冬合宿はスキー合宿であることにきまり、その段取りは武松に一任されることになった。
 ところが武松が知らせてきたのは合宿に必要な費用、持ち物、集合場所、時間だけで、あとはそのまま当日を迎えることになってしまった。
 そしてその合宿において、陽太達は武松に企画を任せると言う行為がどれだけ危険なものであるかを十分すぎるほどに思い知ることになる。

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合宿一日目・午前二時 大学正門前に集合

「予想はしていたが……初っ端から常識はずれだな……」と、KWC一回生部員・森水陽太は呻くように一人ごちた。

 隣にいた長髪に品のいい眼鏡を掛けた自称陽太の親友・住之江健太郎も寒さに身体を縮こませながらそれに同意する。

「まさかこんな草木も眠る時間を狙うて集合時間にせんでもええのに……」

 そう、今は真夜中の二時である。日本に何百とある神社のひとつくらいでは丑の刻参りをやっている時間なのだ。

 そこにもう二人、KWCの部員がやってきた。
 一人は長身でモデルでも通用しそうな体格、明るく色を抜いた髪はショートカットにしており、快活そうな感じが伺える女性。もう一人も長身で、さらさらの髪を品よくまとめている、なんだか繊細そうなイメージのある男だった。
 前者の女性は吉岡千絵、後者の男は冬山合宿の発案者である坂本俊介だ。

「よっ、陽太に住之江。いい晩だね」と、声をかけたのは吉岡である。
「おはようございます。吉岡さん、坂本さん」

 陽太の返答に、吉岡は眉根を寄せた。

「おはようございます? こんばんはじゃなくて?」

 その質問には隣で疲れた顔をしていた坂本が答えた。

「きっと陽太君達はちゃんと寝たんだよ」
「……ということは吉岡さん達、寝てへんのですか?」
「その前にどうやってここまで来たんですか?」

 陽太の記憶によると吉岡の家も坂本の家も徒歩で来れるようなところにはない。そしてこの深夜は大抵の交通機関は止まってしまっているはずだ。ちなみに住之江も遠い所から通っているが、昨夜は陽太の下宿に泊まり込んだのである。

「ああ、アタシらは部室に泊まってたんだよ。で、夜中に起きられる自信がなかったからずっと起きてた」

 からからと笑って言う吉岡を坂本がその血走った目でギロリと睨んだ。

「……だからって僕を巻き込まなくてもいいじゃないか。僕はちゃんと起きられるのに」
「一人で起きててもつまらないでしょ」
「でも延々と大富豪を続けてることはなかったと思うんだけど」

 会話を聞いていた陽太と住之江は思わず顔を見合わせた。

「延々と二人きりで……」「大富豪……」

 確かに大富豪はトランプゲームのなかでは屈指の面白さがある。且つ、ルールを知っている確率が高い。が、これは普通4、5人でやるゲームである上、ルールの性質上、自分の手を見れば相手の手が分かってしまう。
 その点駆け引きを楽しめると言えるが、駆け引きをしなければ勝てないので、異様に神経が疲れるのだ。

「ま、どーせ移動中は寝られるんだからいいじゃないの」

 吉岡はそう言って口論を終わらせた。が、この彼女の言葉はこの十分後、覆されることになる。
 口論が終わったところで、陽太は腕時計を見た。現在一時五十九分である。

「もうそろそろ時間だな」

 そう漏らした途端、エンジン音がこちらに近付いて来るのが聞こえた。やがて角を曲がって、その音源である車が現れる。
 陽太達はそろって顔を見合わせた。

「アレ……」「……でしょうか?」

 その疑問に答えるように、その車は陽太達の前に止まった。
 その車はワゴンで荷物を載せても7、8人は乗れそうだ。そのワゴンの側面に付いているスライド式のドアが開いた。
 だが出てきたのは人ではなく白い煙だった。

「「「「…………」」」」

 4人が揃って絶句していると、その煙が微妙に動く。
 そしてその動きは大きくなり、その煙を巻いて大物よろしく出てきたのは黒ずくめ、オールバック、サングラスのマフィアの三神器を装着し、威厳を満ちあふれさせている男、KWC部長・武松その人である。

「諸君、おはよう」
「「「「…………」」」」

 あまりの登場の仕方に4人はまだ言葉を出せない。
 姑くの沈黙が彼らを支配したが、それを破る言葉が運転席方面から発せられた。

「ゲホッ……ゲホッ……武松っっ!! テメェッ! 車ン中でドライアイスなんぞ焚きやがってどういうつもりだ、この野郎っ!」

 激しく咳き込みながら出てきたのはいい身体をした、褐色の肌を持ち、頭を角刈りにした、いわゆるマッチョな男である。
 彼の名は波瀬威(はせ・たける)。KWCの三回生部員である。武松と同級である唯一の男であるため、武松にある程度抵抗力のある数少ない人間の一人だ。

「ああ、すまない。しかし演出というものは驚かせてこそ意味がある」
「馬鹿たれっ! あれで事故ってたら演出の意味もなくなってたとこだっ!」
「ふむ……、その可能性までは考えていなかったな」と、しれっという武松に一同がぞっとさせられる。

 そして陽太はふと気が付いた。

「そういえば和泉さんは? 一緒にきたんでしょう?」

 彼のいう和泉とはKWC二回生部員、大和撫子という言葉がピタリと似合う武松和泉のことである。武松と名字が同じであるところが気になるが、これは二人が夫婦であることを表している。
 噂をすれば影という言葉通り、まだモクモクと車の中から出てきているドライアイスの煙の中から和泉が出てきた。
 右手に赤ん坊を抱き、酸素マスクをつけている。赤ん坊も同じようにしていた。ちなみにこの赤ん坊は優太といい、武松夫婦の長男である。
 和泉は酸素マスクを外すと、武松の隣に立っていった。

「あなた、演出は成功しまして?」
「どうも不評だな。驚きもしないし、ツッコミもない。演出の道は険しいものだ」

 武松が首を振りつつ、溜め息まじりに答えると、それを見ていた陽太が呻くように漏らした。

「分からん……夫婦共にさっぱり分からん……」

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合宿一日目午前二時二十分・出発

 全員揃ったところで、武松は自分の前に全部員を並ばせた。

「さて諸君、現在より我がKWC冬季合宿が始まる。ミステリーツアーの趣を楽しんでもらうため、行き先はまだ告げられない。しかし安心したまえ。私が責任を持って立てたプランは大いに諸君を楽しませることだろう。その楽しみの中で諸君には己のこだわりを存分に磨いてもらいたい。
 以上が、KWC冬季合宿における私からの挨拶だ。それでは速やかに各自荷物を車に積み、乗り込みたまえ」

 武松の号令を受けて、陽太達は一列に並んでワゴンのトランクに荷物を載せ、開けたままになっていたワゴンの側面のスライド式扉から乗り込んでいく。

「ああ、少し待ちたまえ」と、武松は最初に搭乗しようとした坂本を呼び止めると、いきなりその目にアイマスクを被せた。

 すると坂本はいたくショックを受けた様子でいつものように自分の世界に突入する。

「ああっ、突然目の前が真っ暗に……っ! 世界から光は消えてしまったのか!? もう太陽は昇らないのか!? 人類はこれから訪れるであろう、暗闇と極寒の時代を生き抜けるのか!?」
「……部長、早く説明してあげなよ」と、坂本のすぐ後ろに並んでいた吉岡が武松を促すが、武松はいたく感心した様子で坂本から目を離さずに答えた。
「ふむ、なかなか面白い。もう少し黙って観賞しようではないか」
「…………」

 ミステリーツアーの趣を最大限に楽しんでもらうため、通っている道から行き先を推し量ることが出来ないように目的地まで目隠しをする。
 そう説明され、坂本が平静を取り戻した後、全員が目隠しをして車に乗り込んだ。

「車の運転は私と波瀬君が請け負う。君たちは何も心配せずに明日からの楽しい合宿に備えて大いに睡眠を取り、鋭気を養ってくれたまえ。では波瀬君、発進だ」
「合点。出発進行だ!」

 波瀬は威勢良く返事をすると、運転席に乗り込み、四点式シートベルトを装着、続いてきちんとクラッチ、ブレーキを踏み込んでからエンジン点火。そして何故か数回エンジンを空ぶかしをする。
 ヴォンヴォンと、それはさながらオオカミの雄叫びのようでもある。

「くぅ〜、やっぱイイ音じゃねぇかっ!」
 その声は普段の波瀬とはギャップを感じる声だった。

「よぅし、ゴキゲンだな。じゃあ、今日は思いきりぶっ飛ばしていくぜいっ!」

 波瀬はクラッチを繋ぐと、いきなりアクセルを全開にした。
 ぎゅるぎゅると音を立てながらワゴンはタイヤを滑らせ首を振る。そしてある地点でタイヤはアスファルトを捕らえ一気に加速した。
 こうして地獄のドライブは始まった。

「ひゃあっはっはっはっはっ!」

 狂ったような笑い声でアクセルをベタ踏みにして運転しているのは波瀬であった。普段は比較的クールな感じの波瀬だが、今、ハンドルを握る波瀬はほとんど狂戦士である。
 乱暴にハンドルを振り回し、けたたましいくらいにクラクションを鳴らす。
 更に驚いたのは赤信号でもスピードを落とさず突っ込んでいくのだ。

『あああああぁぁぁぁっっっっ!』

 運転している波瀬と武松夫妻、ついでにその息子優太(2)以外の全員が、恐怖のあまりに叫び声をあげる。ましてや目隠しでどうなってるのかまるで見えないのだ。
 驚異的なブレーキングで女幽霊の悲鳴のような音を立てながら、流れる車を避けまくり、赤信号の交差点を突っ切ると、ほっと安堵の息を漏らした一同を代表して陽太が訪ねる。

「は、波瀬さん……」
「何だぁっ!?」

 前方を睨み付けながら波瀬が答えた。

「信号機の意味、分かってます?」
「でなきゃ、免許は取れねぇだろうが。青が『全速力でつっ走れ!』、黄色が『何となく急げ!』、赤は『構わねぇで突っ込め!』だろ?」
「イタリア人より酷い……」

 イタリア人はそれぞれ『進め』『急いで進め』『気をつけて進め』の意味で解釈している。
 そんな会話を交わしていた時の事である。

 ホァンホァンホァンホァンホァン

 そんな音が背後から聞こえてきた。その音を聞いて、波瀬はちっと舌打ちをする。
 基本的に善人である陽太とその他のメンバーには通常気にも止まらない、もしくは天の救いのような音だろうが、今は違う。

『そこの車、止まりなさいっ!』

 拡声器越しの声がはっきりと聞こえた。間違いなく、自分達は追われている。
 かなり大幅なスピード違反、完璧な信号無視、無謀すぎる追い抜き行為、その他道路交通法に喧嘩を売っているとしか思えない数々の危険行為。
 この車は、どこからどう見ても立派な暴走車だった。

「武松さんっ、どうするんですかっ!? 俺達、警察に追われてますよ!?」
「ふむ……このへんで休憩を入れようと思っていたのだが、止まっている余裕はないようだね」と、武松は冷めた目で後ろのパトカーを見遣りながら言った。

「そんな冷静に対応しとる場合ちゃうでしょう!? つかまったらどないするんですか!?」と、いつもはお気楽志向の住之江さえも焦燥感をあらわにして叫ぶ。
「まあ落ち着きたまえ。休憩するときにゆっくりやろうと思っていたことだが、どうもできそうにない、坂本君」
「はいぃ……」

 もともと色白な顔をもっと蒼白にしていた坂本は何とか応答した。もっとまともなことを喋ろうとすると“アレ”をぶちまけかねない様子だ。
 そんな坂本に武松はすっとひとつの箱を差し出す。頂上部の面には拳一つくらいの穴が開いていた。

「去年と同じだ。引きたまえ」
「はいぃ……」

 坂本は何とか腕だけ動かすと武松が突き出している箱に手を入れ、紙を一枚抜き取った。
 それを武松に差し出す。
 武松はこれを見ると、運転席にいる波瀬にぼそっと何かを告げた。

「合点っ!」と、波瀬は威勢のいい返事をすると、赤になっている交差点をタイヤを滑らせ、ドリフトをしながら右折した。
 クラクションや、パトカーのサイレン、爆発音、悲鳴などを背後に感じながら、陽太は尋ねた。

「今のやり取りは何なんです?」
「くじ引きだが?」
「何のくじ引きなんですか?」
「宿泊場所を決定するためのものだ。これがKWCの合宿なのだよ。なんでもくじ引きで決まる」

 意味がわからない。もともとこの武松をはじめ、KWCの面々の言動には頭を抱えるくらい悩まされてきたが、今回は特にわけがわからない。
 表情からそんな様子を見て取ったのか、武松は話を続けた。

「はじめから予定が決まっている旅行など何の面白みもない。筋書きのない旅行、それが旅行の醍醐味だ。
 もともと移動手段だって、私は学生旅行といえば電車だろうと主張したのだが、くじ引きの結果、こうなってしまったのだ」
「でもそれじゃ、宿泊施設は複数予約して当たらなかったやつは当日キャンセルをしなくちゃいけなるんでしょう?」

 当日キャンセルは普通、半額以上の料金が発生してしまう。くじ引きになるくらいたくさん予約したとすれば、それだけたくさん料金がいるはずだ。
 しかし陽太たちが払った旅行代金は食料などに使うつもりで今もっている現金を合わせても三万円にもならない。

「そこは幹事の腕の見せ所というやつだよ」と、武松は不敵な笑みを浮かべてサングラスをくいっと持ち上げた。
(一体何やったんだこの人……)と、陽太が背筋にうす寒いものを感じたとき、和泉が聞いた。

「それで、どこに決まったのですか?」
「それは着いてからのお楽しみだ」

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合宿一日目午後一時・宿泊地到着

 口を開けば体内の神秘を吐き出しそうな坂本はともかく、何故車内で吉岡が黙ったままだったのかというと、何とも幸せなことに睡魔も手伝って失神していたのだった。

「着きましたよ、吉岡さん」と、陽太に起こされると、吉岡は軽く身じろぎをして体を起こした。
 車は確かに停車している。花畑も川も見えない。どうやら無事に着いたらしい。
 が、スライド式のドアから降りてみて驚いた。

「あれ?」

 見回してみてもホテルも旅館も、そして民宿さえも見当たらない。車内での武松の話ではまず宿泊場所に向かうとのことだったのだが。

「あれ? ここ、どこ?」

 陽太はいささかげんなりした調子で答えた。

「『黒馬キャンプ場』、だそうです」



「どういうことですかっ!?」と、吉岡は上司にセクハラされたOLのような剣幕でキャンプの設営作業を黙々と続けている武松に突っかかって行った。

「文句なら坂本君に言いたまえ。あのくじを引いたのは彼だ」

「だ・か・ら!」と、吉岡はさらに武松に詰め寄っていく。「どうしてくじ引きにキャンプ場なんて入ってるんですか!? 入れてなきゃ、大損こきまくり、人生の崖を転がり落ちる運命を背負った坂本君だって引くに引けなかったんじゃないですか!」
「吉岡さん……何気なくひどい……」と、坂本がつぶやいだが、彼の声は案の定誰の耳にも届かない。

「しかし、それを望んだのは君達自身だ」
「え?」

 武松の思わぬ反論に吉岡は眉根を歪める。
 そんな吉岡の鼻先に武松は人差し指を突きつけた。

「よく思い出してみたまえ。あの冬合宿のことを決めた会議のことを」

 そして吉岡は回想してみた。冒頭の坂本による熱の入った演説の直後からだ。



「ふむ……、君の言うことももっともだな。私は彼の意見を尊重しようと思うが、反対意見はないかね?」

「反対意見があったとしたら?」と、南国行きを主張していた波瀬が尋ねた。

「私の弁論の技術を総動員してでも説得してみせる。きっとその人間は当日いちばん張り切る人物となるだろう」
「……ほとんど洗脳じゃねェかよ」

「ええんちゃいます? 俺はええと思いますよ。な、陽太」
 住之江に同意を求められたが、ほとんどかかる費用の面でしか意見を出さなかった陽太がそっけなく答えた。

「俺は料金が三万円以内に納まるならどこでも何でもいいですよ」

 そんな陽太の言葉を聞いて吉岡は愉快そうに笑った。彼女は白熱した冬合宿議論ですっかりハイになっている。
「あははは、陽太ってかなりの倹約家なんだねー。普段の生活もかなり節制してるんじゃないの?」

「ええホンマにようやっとりますわ。一ヶ月の食費なんて初めの頃のなんと半分になっとるんですよ」
「そんな俺の心を理解しておきながらただ飯を食べに来る奴さえいなければもっと減るんだけどな」

 これはかなり露骨な皮肉といえたが、住之江はまったく気にしている様子を見せずに言った。

「そんな冷たいこと言うたんなって。ニギヤカな食卓を買うとると思えば安いもんやって」
「そこまで節約したいならさ、雪中キャンプでもすれば? ホテル代浮くからすごく節約できるよ」
「しかしレンタルするにしても道具代とかキャンプ場代がかかりますよ」と、陽太はあっさりその案を却下する。

 だが吉岡は残念そうに、「そっかー、でも雪中キャンプ楽しそうなのになー」と、漏らした。



 確かに雪中キャンプをしてみたいと言っている。だが、軽い冗談のつもりで、本当にやるつもりなど微塵もなかった。
 しかし武松相手にそのような言い訳が通用するだろうか、答えは否である。この男には冗談と本気の垣根など存在しないのだ。

「やっとわかってくれたようだね。さあ、滅多にに経験できない雪中キャンプだ。大いに楽しもうじゃないか」

「ちょっと待ってください」と、声をかけてきたのは陽太だ。
「どうかしたのかね、森水君」

「作業を始める前にあのくじにはほかにどんなものが入っていたのかを見せてくれませんか?」
「ん、よかろう。自分たちの引いたくじがどんな選択肢の中のどんな選択だったのかを知るのもくじの楽しみだ」

 そういってうなずくと、武松は車の中に入り、件の箱を持ってきた。そしてそれを逆さに降るとすでに雪の上に設置されていた野外用テーブルの上にぶちまけた。
 それを住之江は二つ持ち上げて読み上げた。

「えーと、『温泉旅館くろうま』に、……『ホテル黒馬最高級スイートルーム』? お金どないする気でしたん?」
「それは企業秘密だ」

「あとはまあ安くて汚ェか、まあまあ普通のホテルか旅館らしいな」
「『山小屋』なんてのもありますよ。こっちとどっちがマシですかね?」

 次々と拾い上げては読み上げていく一同だったがふと、陽太の手が止まった。

「武松さん……」
「何かね森水君」
「何なんですかこれは!?」と、陽太がそれを武松に突きつける。一同もそれを覗き込んだ。
 それには筆ペンらしき筆跡で上手にこう書かれていた。

『かまくら』。

「雪国のロマンというやつだ。ちなみにそれが決まると夕食は自動的にきりたんぽになる予定だった」
『…………』

 一同は絶句した。まさか自分たちの引いたくじよりも危ないくじがあったなんて。
 そして、悟った。これからもこのような危険が付きまとうのだということを。

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合宿一日目午後五時二十一分・夕食

「よし」と、タープのロープを結び終わった武松が短く言って雪上キャンプの設営が終わった。
 ほかの面々も今夜の宿泊場所の完成に喜びを隠せない様子だ。

「しかし思ったより時間を食っちまったな、もう完全に日が沈んでやがる」と、波瀬は完全に闇に染まってしまった空を見上げていった。
 やはり雪上という条件はかなり厳しく、素人ではいろいろ戸惑うところもあったがなんだかんだ言ってキャンプの設営作業はなかなか楽しいものだった。

「たくさん働いてお腹空いちゃいましたね。早くご飯にしましょうよ」

 坂本の提案に武松はひとつ頷くと車から件の箱と持ってきた。それを見て一同がごくりと生唾を飲み込む。つまり、このくじ引きで今晩のメニューが決まるのだ。
 宿泊場所を決定したくじの危険度を知っているメンバーたちは事の重大さを重く受け止めていた。

「さっきは坂本君が引いたんだったな。では今回は吉岡君だ、引きたまえ」

 そうしてくじの入った箱を吉岡に突き出した。
 吉岡は腕まくりをするとその右手を持ち上げて思い切り力む。念を込めているのだ。

「贅沢は言わないよ……、うな丼に温かい肝吸い付きでいいんだ……!」
「……それのどこが贅沢じゃないの?」

 隣に立っていた坂本の突っ込みを無視して、吉岡は気合い一発、くじ引きの箱の中に手を突っ込んだ。

「すき焼きあんこう鍋カニ鍋てっちり……」

 以下高級で温かい料理の名前を呪文のように羅列しながら吉岡はがさごそと箱の中を引っ掻き回す。

「そりゃぁぁぁぁぁっっっ!」

 気合いの入りまくった掛け声と共に、吉岡はくじを一つ握って拳を箱から引き抜いた。そうして掴み出されたくじに全員の注目が集まる。吉岡は二つに折られたその小さな紙片をみんなに見えるようにゆっくり開いた。
 そしてその紙にはこう書かれていた。

『自前でカレーライス』

「何や、意外と当たり障りのないもんが来たんやな。『自前で』っちゅーのが気になるけど」と、住之江は意外性のないくじ引きの結果にいささか残念そうだともとれる発言をした。

 陽太の記憶によると今夜寝る場所が雪上キャンプだときいて唯一ブーイングを飛ばさなかったのが住之江だ。
 ひょっとすると彼は一番武松に近い感性を持っているのかもしれない。

「ちなみに他のは……」と、吉岡がくじ引きの箱を逆さにして中身を全て出す。

 テーブルを照らすライトの下で、吉岡が次々とくじに書かれた文字を読み上げていった。

「『出前で豪華フランス料理』、『出前で丸鍋』、『出前で蟹雑炊』、『自前で鍋焼うどん』……『自前で豪華フランス料理』?」

 そこまで読んだところで全員が何故いちいち料理名の前に「自前で」「出前で」と書いているのか理解した。
 気を取り直して続ける。

「『自前でボルシチ』『出前でラーメン』……『自前でかき氷』ぃ……?」

 眉根を寄せて武松を見遣る。
 武松は中指でサングラスのブリッジをくいっと上げ、答えた。

「そこらにある雪にシロップを掛けて食べるのだ。シロップは定番のイチゴ味から通好みのみぞれまで用意している。雪は氷を削ったものではないからかき氷とはまた違った食感を楽しめるに違いない」

 一同は考えただけでぞっと背筋に寒いものを感じた。恐怖からの寒さではなく、本当に気温からの寒さである。まあ、ある意味こんな雪国でかき氷を食べるのは恐怖と言えるが。

「武松……、お前何考えてんだ?」と、波瀬が流石に呆れ果てた様子で言った。

 それに便乗して坂本が一気に捲し立てる。

「かき氷って食べ物ですけど完全に水分ですよ!? ノーカロリーで寒さの厳しい夜を乗り切れると本気で思ってるのですか!?」
「大丈夫だ。シロップに多少なりともカロリーは入っている。お代わりは自由だ」
「その方法は不可です。カロリーをとる前にみんなお腹を壊します」と、陽太が冷静に突っ込むと、武松は少し詰まって言った。

「そうか……その可能性は考慮に入れていなかったな」

 武松があっさり非を認めると全員がはぁ、と諦めにも似た溜め息を漏らした。



 材料等は武松が手配してキャンプ用品等と共に、このキャンプ上に配置されていたワゴンの中にあった。
 普段から自炊をしている陽太と女性陣は材料を刻み、飯盒で米をたく。その他の面々は火を起こしたり、その他力作業等を行う。
 そうして協力して作ったカレーが不味いわけがなかった。

「やっぱりこういうのってどう作っても旨くなるんやなぁ」と、しみじみ言う住之江。

 寒い風が吹き付けてくるが、きちんと防寒対策を施している上に温かい食べ物を食べているので、露出している手や顔以外はそれほど気にならない。

「陽太君、これ食べて」と、坂本は自分の皿に盛られた人参を隣に座っていた陽太の皿に移した。
 それを吉岡が目敏く見付けた。

「坂本、アンタなに子供みたいなことしているのよ。人参くらい我慢して食べな」
「人参なんて悪魔の食べるものだ。だれが食べるもんだ」

 もちろん、これはそれくらい嫌いだと言う比喩表現だったのだが、それでも構わない男がここにはいた。

「ほう。では坂本君、君はそんなものを陽太君に食べさせようとしていたのかね?」
「うっ……」

 たじろいだところを坂本はいきなり椅子の後ろから羽交い締めにされた。

「は、波瀬さん!?」
「よう、坂本。ここは男らしく人参を喰らおうじゃねぇか」

 その波瀬には悪戯心がさした含み笑いが浮かべられている。
 そして吉岡が陽太の皿に移された坂本の人参をスプーンですくって坂本に差し出した。

「ぼ、僕は意地でも食べないぞっ!」

 その意志表明と共に坂本は口を固く結んだ。
 そこに住之江が「好き嫌いはイケまへんで〜」と、楽しそうに鼻を摘む。
 おそらく住之江の魂胆は鼻を塞ぐことで呼吸の際に口を開かせるのが狙いであろう。
 しかし坂本は意外に頑張ったものである。一分を超えたあたりで坂本の顔色がどんどん変わってきた。

「ほ〜ら、苦しくなってきただろ〜? とっとと観念してコレ食べなって。おいしいよ、ウサギも馬も大絶賛」

 まず赤くなり、青くなり、次第に土気色に変わっていく。

「やめたまえ」

 開けぬなら、開けて見せようホトトギスとばかりに吉岡が坂本のあごの付け根あたりに指をあてたところで、そんな声が彼らを制止した。

「武松さん?」
「嫌いなものを無理やり食べさせるのは余り感心しないな」
「「「「えっ……!?」」」」

 四人はもとより、被害者である坂本でさえもそろって怪訝な顔をする。
 この男は人の意見に納得して同意することはあっても、ただで人の味方になる男ではない。それが今坂本の弁護を行っているのだ。

「よく考えてみたまえ。無理やり食わせると食べ物が気管の中に入ってしまうかもしれない。それより前に坂本君が人参アレルギーであるという可能性は考えなかったのかね? 否、アレルギーでなくてもあれほど嫌がっているのだ何らかの拒否反応が出て呼吸困難などの症状が出るかもしれない。そもそも好き嫌いをしてはいけないという論理はおかしい。カロチンを取れるのが世界で人参だけならまだしも他の食物で十分補えるではないか。極端な偏食ならともかくひとつくらい」

 武松は明らかに様子がおかしかった。明らかにいつもより饒舌、いつもより必死だった。

「そ、そうですよねっ! 世の中には人参以上にカロチンをたくさん含んだ食品もありますものね!」

 窮地から救われた坂本はとにかく喜び、そ の他の面々は怪訝な顔を崩さない。
 しかしそれを全て傍観していた陽太だけは気がついていた。和泉が武松に盛ってやった武松のカレーライスの中には玉ねぎがわざわざ抜かれていることを。

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合宿一日目午後九時十分・レクリエーション

 陽太たちが張ったテントは三つで、それぞれ二人、二人、三人と分かれて寝ることになっていた。
 割り当てはまず紅二点の和泉、吉岡。三回生コンビの武松、波瀬。そして残る三人が陽太、住之江、坂本だ。ちなみに武松夫妻の長男・優太は和泉と一緒である。
 与えられたテントに荷物を移動すると、陽太たちの三人用のテントに全員が集まった。寝転がるなら三人が限界だが、座るなら十分スペースに余裕がある。そして四人の真ん中にはもはや彼らにとって爆弾にも等しいものが置いてあった。
 件のくじ引き箱である。
「今度は何のくじ引きなんです?」
「夜のレクリエーションだ。寝るにはまだ少し早かろう。みんなでゲームでもして遊ぼうじゃないか」
「それもくじ引きで決めるんですか?」と、陽太は少し不安そうな顔をする。
「心配はしなくてもいい。このくじにはそんなに意外性のあるものは入っていない。多人数で楽しめるゲームをくじびき決めるだけだ。では、今度は住之江君、君が引きたまえ」

「おっ、今回は俺が引いてええんですか」と、住之江は心なしか嬉しそうに言った。どうやらずっと引いてみたかったらしい。
「いいとも。さあ引きたまえ」

 そう言って武松がくじの入った箱を突き出し、住之江は破願して箱の中に手を突っ込む。
 そしてしばらく箱の中をかき混ぜると、何の躊躇もなく一枚抜き取った。
 くじを引いた本人より回りの人間の方が緊張してそのくじを注視する。その雰囲気を見て取り、住之江は全員のほうに向けてくじをゆっくりと開いていった。

「さあ、一体これは何なんや〜?」

 それにはこう書かれていた。

『徹マン』

 てつ‐まん【徹マン】(名詞・自サ)徹夜麻雀の略。夜を徹して麻雀をすること。

 武松一家以外の全員の目が点になり、全身が固まってしまったことは言うまでもない。

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合宿2日目午前八時三十一分・朝食

 合宿二日目の朝食もくじ引きで決められた。しかしもうくじ引きに恐怖する者はいない。昨夜の徹夜麻雀で特定の人間以外は死体寸前の状態にあり、恐怖を感じる余力すらもう残っていないからだ。
 朝食のくじ引きを引いたのは優太だった。と言っても彼は二歳児であるため、実質的にはそれを手伝った和泉が引いた。
 そして引かれたくじは『餅』だった。
 早速七輪に火を入れ、網の上に餅を並べ、砂糖醤油、あるいは醤油をつけて海苔を巻いて食べ、今日生きていることを神に感謝した。
さらに湯を沸かし、インスタントの吸い物を造ってその中に餅をいれて食べたので体は十分に温まる。

「さて諸君、食べながら聞きたまえ」

 武松はそう切り出して全員の注目を集めると、全員がついているテーブルにくじ引きの箱を置いた。

「ここでもう一度くじを引く。この合宿のコンセプトは幹事にも何が起こるかわからない、楽しいハプニング満載の合宿、ということだ」
「まあ、確かにハプニングは満載だったよな」と、波瀬がまだ湯気の立っている吸い物をすすりながらつぶやいた。

「そして、このくじ引きは二泊三日の旅行において、最も重要な一日である第二日目の今日、何をするかということ決定する、重要なくじ引きだ」
「よーするに、一番コワイくじ引きだってことだね」と、漏らしたのはクマを作り、虚ろな目をしている吉岡である。

「そしてこのくじを引く人間……、それは森水陽太君、君に任せようと思う」

 陽太は吸い物の中から持ち上げていた餅をばしゃんと椀の中に落とした。その拍子に汁が飛び散り、それが陽太の腕にかかった。

「あちっ……!」

 反射的に手を離し、陽太の吸い物は雪面に落ちて、雪に吸収されてしまった。いつもの陽太なら勿体無がっているところだったが、いまはそれどころではない。

「何でよりにもよって俺なんですかっ!?」

 最も重要でもっとも危ないくじ引きである。このくじ引きによってこの合宿が大きく左右されるのだ。そんな責任は負いたくはない。

「あたしなんとなくわかるかも。陽太ってまじめだけど妙に面白い運勢してるんだよね」
 吉岡の意見に武松が頷いて続けた。

「そう、奇運というやつだな。きみをみているととても楽しそうだ。ここはひとつ君の楽しい運に便乗させてくれたまえ」
「……いいでしょう。僕がいつもどれだけ大変な思いをしているか、体験させてあげようではありませんか!」

 そう言い放って陽太は立ち上がり、くじ引きの箱に歩み寄る。
 そしてそれに手を突っ込むと、かき混ぜることもせず、さっさと一枚引いてしまった。それを武松に渡し、自分の席に戻る。

「それでは結果を発表する。本日行うのは…」と、そこで一旦言葉を切ると、武松は全員に向けて紙を開いた。
「『遭難』だ!!」
「そう……?」「……なん?」

 全員が顔を見合わせる。

『ええぇぇぇぇっっ!?』

 全員の驚きの声が見事に重なり、あたりの山に木霊した。

後編に続く

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